日々ブリッジ

エッセイもどきブログ

いまさら『ズートピア』感想

ズートピアを見た。
私は「年の差凸凹男女バディが事件解決もの」フェチなので、萌えアニメ見るくらいの気持ちで行ったら、とんでもなかった。
これは傑作だ。
特に大学生は、皆見るべきだと思った。

「大学生」にしたのには理由がある。
皆、文系も理系も一般教養で少なからず、「マイノリティ」「差別」「偏見」(=ズートピアの根幹テーマ)について触れたことがあるはずだからだ。
もちろん、社会人だって、高校生だって、中学生だって見て欲しい。でも、考える土壌が整っていて、今まさに大人になっていく私達大学生こそが見るべき映画だと思った。

ズートピアに関するわかりやすいレビューは既にたくさん書かれてるので、私が今更語るまでもないだろう。

(と思ったので内容な細かいとこにはあまり触れない。私の感想を書く。)


本作を通じてガツンときたメッセージは、「誰もが「らしさ」の呪縛の被害者になる。でも、被害者が一転して加害者にもなりうる。」こと。

「うさぎらしさ」イメージに縛られていて、それに抵抗し続ける主人公︰ジュディ。そんな彼女でさえも、無意識に「らしさ」イメージで他者を縛ってしまうのだ。

また、冒頭で映る電車に乗る、大型草食動物と小型肉食動物。それぞれのサイズにあった造りになった乗り物。大きくても、小さくても、同じモノを利用できて、それが当たり前になっている。
「ああ、この世界にはマイノリティも、マジョリティもないんだなあ」と思った。
多数派、少数派という線引きでサービスの質が異なっていない。誰もがその人(動物)にあったサービスを受けられる。徹底したバリアフリー社会だ。
しかし、本当にそうか?ということはこれから劇中で語られていくことになる。(詳しくはネタバレなので言わない)

施設や制度は整えられても、我々の心を隅々まで完璧に整えることはできない。
差別心や偏見は、必ずどこかに生まれてしまうもの。気づいていても、気づいていなくても。
でも、我々は、気づくことに努めないといけない。がんばって、気づいて、自分を変えていく。そうしてみんなが変わったら、この社会も変わるはずだ。だからこそのトライ エブリシングだ。

ここからは私個人の話になってしまうけれど。
私は、女性やセクシャルマイノリティと呼ばれる人達に向けられる差別や偏見に関して、敏感であるつもりだった。

では、それ以外は?
障害のある人達には?在日外国人とよばれる人達には?
「ああいう人たちは〇〇だ」なんて、偏見を持って見ているものが、ざくざく出てくる。

「ウェイは〇〇なんでしょ?」「やっぱりオタクだ」「こんなことするなんて、どうせ外国人観光客でしょ」……。 

例えば。
食堂で流れていた、自主制作乙女ゲームのpv。「うわっ典型的オタクって感じ全開……」と下に見ていた私に、友人が言った。「こんな映像作れるなんてすごいやん。私はできないな」と。はっとした。

例えば。
マイノリティや、性差別に関して造詣が深いうちのゼミで、「こんな困った外国人観光客がいた」と盛り上がったこと。
どことなく後ろめたさを感じた。

自分の中の差別心や偏見に、目をそらすなと突きつけられるのはつらい。しかし、それなくして前には進めない。と思う。

ズートピアは、今のアメリカであり、これからの日本であり、この世界そのものだ。
各国の内向き傾向が続く中、これを発表したディズニーには頭が下がる。

ズートピアは、グローバル化と叫ばれる、この時代だからこそ作れる映画だ。リアルタイムで大学生のうちにこの作品を見れたことをとても嬉しく思う。


(書きたいことつめこみ記事になってしまった。おそ松さん③も近々書こう)

続・今更!おそ松さんの人気を考える

では次。
②ジャニーズシステムの引用について話したい。これについては、先輩に指摘されて気づいた。ありがとうございます!

では、ジャニーズシステムとはどういうことか、に触れる前に、おそ松さんの話の中身について触れたいと思う。
前記事で、おそ松さんの1話がパロディだらけだったと話したが、実は二話以降は普通だ。唐突ナンセンスな展開はするが、パロディに終始することはない。釣り堀でダラダラしたり、合コンで抜け駆けしようとする兄弟を貶めようとしたり、六つ子が馬鹿をやる話を中心にストーリーがすすんでいく。

そして、ここで面白いのが一人ひとりにイメージカラーが割り振られているという点だ。
長男のおそ松は赤。次男のカラ松は青。三男のチョロ松は緑。四男の一松は紫。五男の十四松は黄色。六男のトド松はピンク。ほ
それぞれ違ったカラーのパーカーなりツナギを着ているのだ。
このカラーは当然グッズにも反映されていて、おそ松グッズは赤で、カラ松グッズは青で、といったようになっている。

さて、ここで1度まとめてみよう。

男子グループで、一人ひとりにイメージカラーがふられていて、全員で馬鹿なことやったりワイワイする。
こうしたコンテンツに見覚えはないだろうか。そう、これこそがジャニーズのシステムだ。
おそ松さんは、「キャラごとのカラー振り分け」「仲良し男子グループがわちゃわちゃ」やる、という嵐をはじめとしたジャニーズのバラエティ番組やシステムに非常に似ているのだ。
おそ松さんをうちで初めて見た友人が言った、「なんか嵐とかのバラエティ番組っぽいね~」という言葉は非常に的を射ている。嵐にしやがれ、鉄腕ダッシュ、学校へ行こう……我々はこうした番組に馴染み深いと思う。おそ松さんがいわゆる「腐女子」層だけでなく、「そこまでアニメは見ない」派の人にも人気なのは、これが要因なのではないか。

また、カラーがキャラごとに分かれているので「自分はこのキャラのファンです!」と主張しやすいし、「この人の推し松(六つ子の中で特にお気に入りのキャラのこと)は〇〇なんだな」と会話が始めやすい。
そういった会話のきっかけになりやすさも人気の一つではないかと思う。

(ちなみに私の推し松は十四松だ。鷹の爪の吉田くんぽくてかわいい。)

長くなるので次回に続く。

今更!「おそ松さん」の人気を考える

もしも。
一年前の自分に「今はどんなコンテンツが流行ってるの?」と尋ねられたとする。
「おそまつくんのリメイク版アニメがめっちゃ人気だよ」と答えたら、一年前の自分は信じるだろうか?
たぶん信じないだろうな。

そんなこんなで、今更ながら「おそ松さん」の人気の理由を考える今回です。

おそ松さんとは、六つ子のおそ松くんが大人(しかもニート)になった!という設定のナンセンスドタバタコメディのアニメ作品。
放送は終わってしまったけれど、近年では珍しいほどの人気作品となった。コラボグッズは即完売。イベントをすれば長蛇の列、といったように、アニメ好きの女子を中心に大ブームを巻き起こした。
アニメを見たことはなくても、「Twitterで友達がRTしてた」「友達が見てるって言ってた」程度に聞いたことのある人はたくさんいるのではないか。おそ松さんのトレードマーク、松のマークの付いたパーカーを着た女子も時々見かける。


では、このおそ松さん。どうしてこんなに人気になったのだろうか。
思うに、
①フックの多さ
②ジャニーズシステムの引用
③深読みを誘う演出

の3点が要因としてあるのではないかと思う。

では、まず①フックの多さについて。

フックとは、その名の通り「引っ掛けるポイント」のことだ。超有名コピーライター仲畑氏の言葉で、見る人に「お?」と思って貰う仕掛けを意味する。
おそ松さんは、このフックからフックへの誘導がとても上手いと私は感じた。

まず、第1のフックとして、おそ松さんのオープニングテーマがある。このテーマを手掛けたのは、コナミ音ゲー(DJのやつ、ギターのヤツ、ボタン叩くヤツとか)界で超有名な2人組、しかも変な曲(お米お米と叫ぶメタルとか作ってた)を作ったことで有名なコンビだ。

実は、音ゲーに入ってる曲というのは、音ゲーでプレイするためだけに作られた曲がほとんどだ。だから、どんなに音ゲーマーがこの曲いいな!と思っても、非音ゲーマーの耳にその曲が届くことは少ない。
だから、主語がでかくなってしまうが、音ゲーマーはよくこう思っている。「こんな素敵な曲がたくさんあるのに、一般で日の目を見ることがないなんて寂しい!もっと一般音楽シーンにも聴かれるようになってほしい!」と。(少なくとも私は現役音ゲーマー時代そう思っていた)
だから、音ゲーアーティストから「アニメの主題歌作るよ!」とのアナウンスが聴けるのは嬉しいのだ。「我々の大好きな彼等の歌を、どうか聞いてくれみんな!」と思う。

地元のゆるキャラがテレビに出てたら、皆なんとなく嬉しいと思う。「あれうちの地元のキャラ~」なんて言ったりするのではないか。それと同じだ。

そういうわけで、「音ゲーアーティストがアニメの主題歌つくるらしいぞ!しかも担当するのは、変な曲作ることで有名なあの2人だってー!?」なんてことになれば、大体の音ゲーマーは見る。「オープニングテーマだけでも聞くか」となる。

「20年前の昭和のアニメ、おそ松くんのリメイクアニメ」
どう見たって、この字面からは面白そう感が伝わらない。1話目を見ようと思えない。
そこで、「1話目を見てもらうフック」として、音ゲーアーティストの起用したのではないだろうかを。

そして、この読みはある程度当たっているのでは?と思う。何故なら、二期目のおそ松さんのオープニングテーマは、音ゲーアーティストが担当していないのだ。二期目をやるころには、充分人気が出ていたからだ。ここでフックを作って引っかける必要がない。「おそ松さん」というだけで、みんなが見てくれるからだ。

そして、次に第2のフック。ポップで可愛いオープニングの演出だ。
曲そのものが物凄くキャッチーなのもあるが、演出がすごく可愛いのだ。
説明するより見た方が早いと思うので、見て欲しい。


どうだろうか。
どことなく海外アニメっぽく、カラフルで可愛くて、耳に残るこの感じ。普段アニメをそこまで見ない人でも「あ、かわいいかも」くらいは思うのではないだろうか。
なんとなく見て見た人、「オープニングテーマだけ聞こ」と思って見た音ゲーマーをここでキャッチする。「なんだか、良さそうだぞ?」と思ってもらうのだ。

そして、最後に第3のフック。パロディだらけの第1話だ。
おそ松さんの第1話は「昭和アニメの僕らが、今の時代で人気になるにはどうすればいいのか?」を六つ子たちがそれぞれ考えるという内容になっている。そこで、六つ子達はありとあらゆるアニメ作品の露骨なパロディをする。進撃の巨人ラブライブ、ハイキュー、暗殺教室……どれか一つはピンとくる作品があるのではないか。
ここで、二つのフックに引っかかって本編を見た人はさらにびっくりする。「なんだこれは!すごいアニメだな!」と。アニメ好きというのは、パロディが好きなものだ。そして、Twitterで呟いたりする。まとめサイトでまとめたりする。「おそ松さん、パロディだらけで凄かった!」などと。
すると、その呟きやまとめに引っかかった人達が「なんだかおそ松さんて、すごいらしいぞ」と見てみる。またフックに引っかかる。で、拡散する。この繰り返しが起こるのだ。


長くなったので、次で②と③を述べる。 

「ディズニープリンセスとアナと雪の女王展」から見える日本人のディズニープリンセス観

夜行バスで就活で東京に行く。
と、面接が始まるまでに微妙な間ができることがよくある。4時間くらいの。
遠出はできないし、ひとりだし、どこへ行こうか。そんな時、私はよく展覧会に行く。


というわけで今回は、

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これに行ってきました。


以下感想。

この展覧会、非常に興味深い展覧会だった。
展示内容がではない。展示のされ方である。

この展覧会は、ディズニープリンセスの展覧会ではない。「日本人のディズニープリンセス観」の展覧会である。

もう1度タイトルを見て欲しい。
Power of princess.
プリンセスそのものではなく、プリンセスの力、をテーマにしているのだ。
では、プリンセスの力とはなんなのか。
それは、わたしたち日本人のディズニープリンセス観を曖昧に表現した言葉なのではないかと思う。

我々はなにかを楽しむ時、そのものと一緒に「イメージ」を消費していると言われる。

例えば、店舗内で飲むスタバの新作フラペチーノと、下宿先に帰ってきて、1人で飲むスタバの新作フラペチーノ、どっちが美味しそうに感じるだろうか。おそらく前者だろう。
これは、スタバという場所が単なる飲食店ではなく、「おしゃれで洗練された場所」という意味を持っているからだ。スタバでフラペチーノ飲むということは、飲食の意味よりも、おしゃれな場所で過ごすということに重きが置かれる。そして、この、スタバの「おしゃれな洗練された場所」という意味がイメージに当たるのだ。

イメージを消費する社会になって久しい。
そんなわけで、このディズニープリンセス展は、我々の「ディズニープリンセスへのイメージ」を展示しまくる、ここまでいくと潔い
な!て感じの展覧会だった。

(もし、ディズニープリンセス作品のアートワークをたくさん見たいと思うなら、ここへ行くよりも本を買った方が絶対いい。Amazonでthe art of tangledとかいれたら出てくるから。行っても楽しいけどね)


この展覧会を構成するものを3つあげるとしたら、
①ポエム
②グッズ
③西洋のおひめさまへの憧れ
だと思う。

まず、①ポエムに関して。

各プリンセスのセリフがところどころに書いてある。アナ雪コーナーは、セリフ以外にも心の扉が~みたいなよくわからないセリフも書いてあった。
ディズニープリンセスの幸せになるルールだったか。そんなようなタイトルの本も出ていたように思う。
甘くてどこかアンニュイなセリフやポエムは、ディズニープリンセスを語る時の枕詞なのかもしれない。


次に②グッズに関して。

販売グッズがとにかく多かった。
展覧会スペースの半分位はあるんじゃないか、レベルにお土産グッズコーナーが広い。先行販売の可愛さの暴力みたいな日傘(六千円した)や、普段あまり見ないフローズンフィーバー(アナ雪の短編)のグッズもあった。コンセプトアートのグッズもオリジナルで作っていて、これはなかなかいいなと思った。
ドラッグストア、服屋、雑貨屋、……ディズニープリンセスグッズを見つけないことはないといっても過言ではないほど、プリンセスグッズは氾濫している。いやまあ可愛いけど。
どうやらディズニープリンセスと商業は、切っても切り離せない関係にあるようだ。


そして最後、③西洋のおひめさまへの憧れ。

散々言われていることだが、ムーラン、ポカホンタス、ティアナ、メリダディズニープリンセスに属する。しかし、彼女らを日本でグッズなりで見たことはあるだろうか?
おそらくほぼ無いだろう。
この展覧会も、白雪姫、シンデレラ、オーロラ姫、アリエル、ベル、ジャスミンとつづき、突然ラプンツェルに飛ぶ。まあそういうことだ。我々はどうしても「おひめさま」をイメージする時、綺麗なドレスと明るい髪の色、そして白い肌の女の子を想像しがちだ。(ジャスミンはアラビア系のプリンセスだが、彼女のデザインは白人の要素を多く取り入れている)しかし、「彼女たちが幸せになれた秘密は……?」みたいなことをコピーにするのなら、ティアナくらい見たかったというのが正直なところだ。プリンセスと魔法のキスのミュージカルシーンはすごく綺麗だから、余計残念だ。

なんだか文句ばっか書いてるように思うかもしれないけど、まあ普通に楽しかった。
百貨店のイベントホールでやっているものなので、美術館で開催中のピクサー展とくらべるのは野暮だろう。(ピクサー展は本当にオススメだ。ピクサー好きならマジで行くべき)

また、実写マレフィセント&オーロラ&シンデレラの撮影に使われたドレスや小道具があった。かなり近づけるので、これはレアなものが見れたと思う。(ほんとに!)Let it goに合わせて部屋をマッピングするミニショーも、エルサの城に足を踏み入れた気分になれて、なかなか楽しかった。

その他で興味深かったのは、シンデレラのキャラ紹介で勇気という言葉がキーワードに使われていたこと。実写版で勇気がキーワードとして使われていたので、それを引用したのであろう。まあ、実写版にも勇気要素はなかった気もするけれど。(実写シンデレラ<<<同時上映のアナ雪短編だとわたしは思っている)

また、ディズニープリンセスを形容するキーワードをつないでいくと、
白雪姫は待つ 
シンデレラは耐える 
アリエルは外の世界へ出ていく
ベルは自分の頭で考える……と自立的な要素、現代的な要素を含んでっているんだなと思った。

以上、感想でした。

~東京から京都へ向かう新幹線内にて~

やりたいよフリーペーパー

私がやるやる詐欺してるものの一つ、それがフリーペーパーづくりだ。
今すぐ始めたいところだけれど、フリーペーパー作りには、金と時間がいる。今は両方ない。

しかし、何も考えずただフリーペーパーやりたーいと言ってた訳では無い。構想はある。
しかし時間と金がない。

ということで備忘録。
落ち着いたらすぐに始められるように、メモをしておこう。

――――――――――――――

①コンセプト

コンセプトは「ヴィレッジ・ヴァンガードぽいやつ」。
特に欲しいものは無い、でもそこにあったらついつい入ってしまう。テンション上がってつい変なもの買ってしまったり、意外と探してたアレがあったりする。ヴィレッジ・ヴァンガードはそんな店だと思う。
ああいうノリのものをつくりたい。

②中身
ナイトスクープ的なコーナー。

「奈良女生の恋人いる率はまじで16パーセントなのか??」「大仏とついている商品、もしくは店名になってるお店はこの街にどれくらいあるのか?」を調べる。

・大学内で金をかけずに遊ぼうのコーナー。

タイトルの通り。お金のかからない遊びを提案。コラージュ川柳(新聞を切り抜いてつくるコラージュ)やったりする。

・変わった店紹介コーナー

関西圏(時々関東)の変わった店を紹介する。ぶっちゃけオシャレカフェはそのへん歩いてたら2,3件は見つかる。食べログだってあるし。でも、変なお店ってなかなか見つからない。ので、紹介する。
内装が、出すものが、店員が、変わってるものを紹介。カフェペロリンガみたいな。

ジェンダー系コラム

毎度のことだが、うちの大学は般教で「ジェンダー!!!!男VS女!!!\( ´°ω°)/ウオオオオオオ」ってやって、来たばっかの新入生をビビらせてると思う。そんなことないよ~っていうやわめジェンダーコラム。

・奈良女生はいうて芋女ばっかじゃないよのコーナー

うちの大学のきれいな人のスナップとちょっとしたコメントもらう的なミニコーナー。可愛い人に、可愛い人を紹介してもらう方式で続けてく。

・今週の推しコンテンツ

お気に入りの漫画なり映画なり音楽なりをオススメするミニコーナー。

――――――――――――――――――

こんな感じだろうか。
そして肝心のタイトルだが、思いついていない。
以前思いついたものもあったが、ギャル雑誌とかぶっていたのでやめた。

半年後とかにマジで作ってたら笑ってください。

一つの記事にするほどでもない話寄せ集め

タイトルの通り。

仮面ライダープリキュアの中間の女児アニメがあったらいいのに

仮面ライダーほどウオオ戦うぜ!!でもなく、プリキュアほどピンクキラキラでもない、女児アニメがあればいいのに。
そんなんがあれば、子供の頃の私はきっと喜ぶと思う。ていうか今からでも見る。

そうだな、イメージ的には「露出度の低いキルラキル」みたいなモノがあればいい。
キラキラフワフワって変身するより、ガシッ!!ズバーン!って、それで、女子的ギミックのあるコスチューム(キルラキルみたくセーラー服とか)に変身したい。
変身決め台詞も、カタカナより漢字っぽいやつがいい。
やっぱり「露出度の低いキルラキル」があれば完璧だなあ。


②「洗練されすぎてもちょっと居心地悪い症候群」

カワイイもの、洗練されたものが好きだ。誰だって好きだと思う。
だけどその反面、洗練されすぎても居心地がちょっと悪く感じてしまうという矛盾を感じてしまう時がある。

例えばディズニーストア。かわいい。店も売ってるものも、すべからくかわいい。
だけどふと、かわいすぎて妙な居心地の悪さを感じる時がある。

例えば、ニフレルのミュージアムショップ。雑貨からお菓子系まで洗練されたデザインのものばかりが売っている。(もちろん、そうでもないものもあったけど)
すごいなあ、かわいいと思うけど、洗練されすぎてて、妙な違和感を感じる時がある。

かつて、色んなアーティストとのコラボグッズを押し出していた京都水族館のミュージアムショップは、徐々にその方向を改めて「ふつうの」ミュージアムショップになってしまった。「ちょっと居心地悪い」の反動だったりするのだろうか。

③みんなと同じは嫌という、みんなと同じ言葉

誰の言葉だったか。だいたひかるだったか。
それを意識せずにはいられない学年になってしまった。黒髪スーツ一つ結び黒髪スーツ青ストライプのネクタイで群れている同い年の人たち。ぞっとする。

そして私と同じことをきっとみんな考えている。わたしじゃないほかの誰かから見たら、私は「ぞっとする集団」の1員なのだろう。

ところで、その場において男子が少し羨ましい。
私だってネクタイ締めたいから。自分の好きなアイテムをこんな拘束だらけの場に持っていけるなんて羨ましい。私もジンベイザメとかイカ柄のネクタイがしたい。


④強い女の子カートゥーンキャラが好き。

強い女の子キャラが好きだ。

カートゥーンばっか見てるのでAnimeキャラはパッと思いつかないだが、ディズニーだったらエスメラルダがとっても好きだ。
弱きを助け強きをくじく、そして賢く美しい 。ノートルダムの鐘には思い入れが深いし、マイナーだけどとても好きだ。

パシフィック・リムの監督がつくったミュージカルアニメ「the book of life」のヒロイン、マリアも好きだ。エスメラルダにちょっと似てる。
子供の時に、彼女の幼なじみ2人が「Maria is mine !」ってチャンバラするんだが、彼女は二人ともまとめてなぎはらって「I belong no one!」とはっきり宣言する。so cool.

最近でてきた、なんだかんだワンダー(パワーパフガールズの作者がディズニーで作ってる作品)、の敵キャラも凄くかっこいい。

名前もLord dominater(ドミネーター卿)ってとこからすでに恰好いいのに、

「私は囚われのヒロインでも、あんたの彼女でも、可哀想なプリンセスでもない!」
「空を飛ぶのに助けが要る、小鳥なんかでもない!」

なんて歌われたら好きになってしまう。歌うまいし。


おわり。

~新宿のファーストキッチン内にて~

サウスパークの腐女子回を見て思うこと②

前回からだいぶ時間が空いてしまったけど、続きを書く。
今日は起こること全てがとっても悪い日だったので、そういう日は長い文が書きたくなってしまうというものだ。

一旦ここで前回の記事を要約する。

腐女子をネタにした風刺アニメ(サウスパーク)が話題となった。
しかし、私の印象に残ったのは腐女子の描写ではない。それは、ゲイだと噂のたった少年に対して過剰に気を使い、大声で理解を示す大人たち、すなわち皮肉に満ちた”LGBTに理解のある人たち”描写だった。
わたしも、”理解のある大人”になりかねないし、なっていたのかもと居心地の悪い思いをしたのであった。

要約おわり。


前回のこの話と関連して、もう一つ、このアニメを見てハッとしたことがある。
それは、ポリティカルコレクトネスに対する向き合い方だ。

ポリティカルコレクトネスとは、直訳すると「政治的な正しさ」という意味で、
「誰も不快な思いをしないように配慮しましょうね」という指針みたいなものだ。
(詳しくはググって下さい)

具体的には、chairmanという単語がChairpersonと言われるようになるとか、
最近の映画だと実写版シンデレラに黒人のキャラがいたのがそれにあたる。

で、このポリティカルコレクトネスがサウスパークとどう関係あるかというと。
このアニメの主人公の通う学校の校長の名前が、「ポリティカルコレクトネス校長」なのである。

そしてこのキャラクターの描写がまた皮肉に満ちていて、「ポリティカルコレクトネス(以下pc)的な考えができる」と思っていた私をハッとさせたのだ。

PC校長は、彼がPC的にアウトだと感じたことを言った生徒をボコボコにする。(物理的に)
めっちゃ殴る。正しいと信じる”PC的”から逸脱したと感じたものを絶対に許さない。
”非PC的”なことを言ってしまった生徒に、悪気あってもなくても、強制的に矯正してしまうのだ。

わたしは彼を見て、「ああ、私も校長と同じことをしていた」と思ってしまった。

もちろんもちろん、物理的にボコボコにしていたわけではない。 
言葉で、”ジェンダー的に、PC的に”正しくないと思ったモノ、言った人にキャンキャンと噛み付いていたのだ。

なんでそんなこというの!?おかしいよ!
そういうこと言っちゃうのよくない!……

ケンカになったことはなかったけど、相手からしたらどうだろう。
悪気なく言った発言に、知らない分野から見たらその発言はおかしい!と噛み付かれる。
いい気がするはずないではないか。

しかし、PC、ジェンダー的に?と思う発言をスルーして許容するべき、とは思わない。それでは、何も変えることができないから。

だから、気づいてからは、
校長みたいにボコボコにするんじゃなくて、相手が自然に「確かにへんかも」
「言われてみればそうかも」と思うような返しの発言をするように心がけている。
(まだ、全然上手くできないけれど。)


 私は大学でジェンダーを学んで、LGBTに”理解のある大人”であるつもりだった。

視覚文化についても学んで、少しは”ポリティカル・コレクトネス的な考えができる大人”であるつもりだった。

しかし、知識をつけることは、「わかったつもり」になってしまうことと表裏一体なのだと思う。私は「わかっている」人になりたい。

そういうわけで、サウスパークからいろいろ学んだ話でした。

~卒論の材料の小悪魔Agehaを読みに東京に向かう夜行バス内にて~