日々ブリッジ

エッセイもどきブログ

サウスパークの腐女子回を見て思うこと①

サウスパークというアニメを知っているだろうか。

ストーリーを簡単に言うと、サウスパークという街を舞台に、主人公の小学生4人や周りの住民達がトラブってなんやかんやする話である。
この「なんやかんや」の内容が毎回すごい。

切り絵風の可愛い絵柄なので、ほのぼのした内容かと思いきや、
風刺、皮肉、下ネタ、ピー音が乱舞する毎度すごい内容になっている。
宗教ネタも容赦無くぶち込んでくるので、作者らはイスラム過激派から殺害予告をされたことが何回かあるらしい。

そんな感じのサウスパークだか、最近腐女子をテーマにしたエピソードが公開された。

あらすじをざっくりと言うと、

主人公達の通う小学校で、アジア人児童の描いた作品が全校集会で発表される。発表された作品は、なんとその小学校に通ってる2人の男の子、トゥイークとクレイグのBLイラストだった。
それを見た周りの人達は、2人をゲイカップルだと思ってしまい、2人がいくら「付き合ってないし、自分達はゲイじゃない」といっても聞いてもらえない

みたいな感じ。

このエピソードが発表されて、ネット上でたくさんの人が「腐女子ネタ」で湧いていた。
腐女子のファッションが的確、作中のBLイラストがすげーそれっぽいとか)
だけど、この話で私が1番心にきたのは、そこではない。

それは、皮肉に満ちた「LGBTに理解ある大人達」の描写だ。

(ここから本題!!)

まず、やたら「君のことを誇りに思う!」とか言う。やたら、「君がゲイであることは素晴らしいよ!!」みたいな事言う。「本当の自分になれてよかったね!」みたいな事言って拍手する。最終的には何故か「君のこと誇りに思う!!ほんとだよ!!ほらお金あげるよほら!!!」とかやりだす。

本当は二人とも、ゲイじゃないのに。

わかりますかこの「あ、ああぁーー……」って感じ!!!!?この、皮肉たっぷりのわざとらしい寛容さ。

うまく言葉にできないんだけれど、もしかしたら、わたしも無意識のうちにこんな感じの「理解ある大人」になってるのかも、と気づいてしまった気まずさ。心にグサッときた。

ここで言いたいのは、もちろんLGBTの方々に配慮すんな!ってことではない。
本人達の気持ちや意見を無視して、勝手に「理解ある」姿勢をとってしまうことが危険だってことだ。

次回へ続く

エマワトソンと私の共通点

エマワトソン。
ハーマイオニーで有名な、誰もが知ってる女優さん。個人的に世界で一番美しいと思っている。

そんな彼女とわたしだが、実は共通点が2つある。

1つ、人間の♀だということ。
2つ、フェミニストであるということ。

というわけで、今回は私とフェミニズムについての話を書こうと思う。長いです。

(エマワトソンのフェミニストスピーチ、実に素晴らしいので一見の価値アリです。)





なぜ私がジェンダーやらフェミニズムやらにやたらと心を砕くのか、不思議に思う人もいるかもしれない。
実際に私もわかりきってないが、そのへんを今回はまとめてみることにした。


そもそもなぜわたしがフェミニズムやらに興味を持つようになったのか。
簡単だ。大学で学んだからだ。

私の学科は、人の生活に関係する様々なものを学問することを専門にしている(例えば消費者法、人類学、風俗史、視覚文化など)
のだけれど、ジェンダーに重きを置いている。
これらのものをジェンダーの目線から考えてみるといった類の授業が多い。
ジェンダーの目線から、て何。と思うかもしれないので、具体的に述べておく。

例えば、ジェンダー×法学。

性犯罪が起こったとして、「女性」が被害者になった場合、裁判時に「被害者も誘うような格好をしていた」みたいな「被害者にも落ち度がある論」が実際に展開されることがあり、もし被害者が男性だったらこの論は展開されるのだろうか、みたいな、
性別が理由で不利になったりすることを法学の視点から見ていく。

とかそんな感じ。

こういう授業を日々受けていれば、
女だからとか、男だからとか、性別で差別をうけるのはおかしいのではないか。とか
じゃあ、男/女の二元論に分類されない人ってどうなるの。
とか自然に思うものだ。

ということで、性差別やらジェンダーやらに興味を持ち始めていた頃、ある衝撃的な事件を知る。
あるアメリカの少年が、「男のくせに」、「女の子向け」アニメが好きだという理由でいじめれられて自殺未遂をしたという。

はじめてニュースを見た時、涙が出た。なぜこんなことが起こってしまうのかと、憤った。私も少年が好きなアニメのファンなので、余計悲しかった。

この少年がいじめられるきっかけになってしまったアニメの挿入歌(ミュージカルアニメなので)に、こんな歌詞がある
「We may seem as different,as the night from day. But you look a little deeper,and you will see, that a just like you and you're just like me. 」
なんて皮肉な歌詞だろう。

少年は幸い一命は取り留めたが、治療は続いており、未だ以前のような生活にはもどれていないという。

前からフェミニズムジェンダーに興味はあったが、この事件が決定的に私の何かを変えた。

それから、「女/男、だから/のくせに~」という言葉を使わないようにしている。 
どうして、性別を理由にされないといけない?どうして性別が理由にならないといけない? 

女の子はどうして皆かわいらしいプリンセスでなければいけないのだ。男の子はどうして皆勇敢なヒーローでなければいけないのだ。

私はもし将来結婚して子どもをもったら、絶対にこの言葉は使わないし、子どもにも使わないように教えたいと思っている。

気にしすぎだ、と思うかもしれない。
そう思うのも無理もないと思う。
私が性別を理由にするのを特別に嫌うのは、大学でたまたま性差別について学んで、疑問を持って、おかしいと思うようになったからだ。 
このプロセスを経ていないと、「男のくせに」とか「女の子なんだから」と言われても何にも感じないし、気にしないという人もいると思う。

でも、それでも、私は使いたくない。
だって、このまま皆がこの言葉に何の意識も持たず使い続けていたら、上記の少年のような事件はきっと再発する。
私は自分の子どもでもそうでなくても、そんな思いは絶対にさせたくない。

また、これはある漫画家の方がツイートしていたことなんだけれども。
その漫画家の方は、いまは性自認=女性のレズビアンだと自覚されているそうだが、子供の頃は性自認がはっきりとせず、とても混乱したそうで、その理由の1つが周りからの「女の子らしくないね」の声だったそうだ。
周りは悪気なく、なんとはなしに言っているのはわかる。でも、無自覚だからこそタチが悪いのだ。

LGBTの人の割合は、左利きの人の割合とほぼ同じだと言う。

私も子どものころ、コロコロコミックポケモン大好き少女だったので、「女の子らしくない」居心地の悪さみたいなものはなかったことも無い。
でも、その反面、お人形遊びやおままごと、おえかきのような「女の子らしい」ものが好きだったので、バランスが取れていたため、性自認で混乱しなかったのかもしれない。

最近、急速にLGBTの方への配慮(この言葉なんか嫌だが適切な言葉が思いつかない)が進んできているが、我々が無意識に口にしがちな、こうした性別に対する「らしさイメージ」に対しても、もっと目がいってもいいかと思う。

さすがにこのご時世、「女なんだから、外で働かず家事をしろ」なんていう人はめったにいないと思うけれど、
「男のくせに泣くな!」とか、「女の子なのに自炊しないの笑」とかって結構まだ言っちゃうんじゃないだろうか。

私は、甘いものが大好きだ。
私は、ぬいぐるみが大好きだ。
私は、ディズニーが大好きだ。

でもそれは、私が「女だから」じゃない。
私が「わたしだから」だ。

この記事に、もしちょっとでも「なるほど」と思ってくれたら、
どうか「女の子なんだから」とか「男のくせに」のような言葉を使うのを、やめてみて欲しい。


ところで、
フェミニズムフェミニストという言葉にマイナスイメージがあるように思える。
フェミニズムはアンチ性差別思考て男嫌い思考ではけしてないのに。)
だとしたら、現代では、これらに替わる新たな言葉が求められているのか。

でも、「フェミニズム」という言葉を捨てることは、これまで長い歴史の中で権利を勝ち取ってきたフェミニストたちの歴史をなかったことにすることにならないか。
今はそれが気がかりだ。

今日はこのへんで。

ディズニーっぽい?海外の「ミュージカルアニメ」の劇中歌とか

わたしは海外製アニメがすごーーーく好きです。もうすっごく好き。

日本未放送エピソードを英語字幕探して根性で見ちゃうくらい好きです。

なんでかって、ディズニー映画だとよくありますけど、ミュージカルシーンがあるものが多くて、見てて楽しいんですよね。

 

だけど、日本の「ミュージカルアニメ」の劇中歌ってディズニーの歌以外ほぼまったく知られてない。ちょっとさびしい。

というわけで、お気に入りカートゥーンの一つである「My Little Pony」から「ディズニーっぽい曲」と「お気に入りの曲」をちょこっと紹介します。

 

 

「My Little Pony」は、ストーリーざっくり言うと、主人公のユニコーンが友情の大切さを学んでいく、みたいな感じです。なので、教訓的な話が多かったり。

子どもだけでなく、「大きいお友達」人気もすごいので、よく「海外のプリキュア」的な立ち位置だといわれることがあります。日本でも吹き替え版やってたので見たことある人もいるかも。

ではいきます!

 

①「Bell(朝の風景)」っぽい曲・・・「Pinkie tha Party Planner」

 

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町一番のパーティプランナー:ピンキーパイによる誕生日パーティ準備の歌。この歌のある回は三分の一が歌パートだったりする。

 

②アニメの雰囲気は「Friend LIke me」・・・「Glass of Water」

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捻くれたジーニーみたいな感じのヴィラン:ディスコードのワガママの歌。このキャラはパワーパフガールズ作った人がデザインしたらしい。

 

③「Poor Unfortunate Souls(哀れな人々)」っぽい?・・・・「Unleash the Magic」 

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人間フォルムになる番外編の曲。「奥の手を出し惜しみして負けたら、あんたのせいだからな!」みたいな歌。

 

④単純にお気に入り「WInter Wrap Up」

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冬じまいの歌。口ずさみたくなるメロディがステキ。

 

 

⑤単純にお気に入り2「Hearts Strong as Horses」

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コンテストで勝つためにがんばるぞって歌。キャッチーでかわいい。

 

ちらっとでも聞いて、意外といいな!って思ってくれたら嬉しいです。

今日はこのへんで!

 

つくられたものを見るということ~私の専攻の話~

大学でわたしは視覚文化を分析するゼミに入っている。


視覚文化とは、人の手によって生み出されたあらゆるイメージのことで、マンガでも、絵画でも、アニメでも、キャラクターなんでもいい。

私は上記のものを分析するということを専門的にやっていくつもりだ。


しかし、どうやらこの分野に対して、世間の目は思ったより冷たいらしい。


「ルミネCM炎上事件」のことを知っているだろうか。

まんまだが、ルミネの放映したCMが女性差別的だとしてネットで炎上したという事件である。

この現象で私がショックだったのは、ルミネのCMそのものよりも、CMを批判した人たち(多くはフェミニストだったが)に対する冷たい目であった。

フェミニズムに関する話にも触れたいが、それはまた別の機会にしたい。


「そんなもののの分析とか批判とか下らない。そんなのして意味ないだろう。」


こんな感じの意見をわりと目にした。


はたして、視覚文化を分析して、批判することは無意味なのか?

いいや、そんなことはけしてない。と私は思う。


視覚的表象物とは、それが作られた時代の価値観の鏡たり得るからだ。

そして、それを分析することは、その社会の枠組みを形作ってきたものをじっと見るということを意味する。

そして、じっと見ることで、この社会の歪を認識することができるのだ。


なぜ、表象物が鏡になるのか。

それは、この世に生み出されるものは大概、人々に受け入れられることを意識して作られており、ということは、私達が受容している表象物は、私達が既に受け入れている価値観を反映して作られているということだ。


日本を代表するコピーライター仲畑貴志氏はキャッチコピーについて「社会に届くことばは、その社会が待っていたことばだ」と語っている。

表象物もこれと同じで、全く共感できない価値観に基づいたものを人々に押し付けても、共感なんて集められない。共感を集められなければ、人気が出ないなど、損をする。

だから、社会が受け入れている、あるいは待っている価値観を内包して、作者は表象物をこの世に出すのではないか。


そして、娯楽的なものこそイデオロギーをより気づかれないまま内包することができる。

「楽しい」と思わせることは、人々の目をより眩ませることができるからだ。

そして眩ませれた人々は口々に「こんなの分析して下らない」と言う。んだと思う。



ところで、人文系を学ぶ学生の肩身が狭い世の中になってきているのを感じる。

何でもかんでも、即戦力。

すぐに効果があって、すぐに儲かり、すぐに実利になるものばかりを求められているように感じるのは、私だけではないだろう。

(このへんはわりと友達の話の受け売りなんだけど)


このままどんどん進んでいったら、「ダイレクトに目に見える利益を生まない」、私の学んでいるような分野の学問が淘汰されていくのも時間の問題かもしれない。



とまあ色々考えては見たものの、所詮は「つくられたもの」を「見る」のを専門にする、結局は「つくらない」側からの考えであるので、「つくる」側のクリエイターからしたら余計なお世話なのかもしれない。

だからこそ、「つくる」ことを学ぶ美大生の人達は、どんなことを学んでいるのかなあと気になったりするんだけど。



っていうか大学生なら、みんな何かしら自分の専攻について思うところあると思うんです。

他学部の人が日々何を学んでるのか。何を考えてるのか。私はもっと知りたいと思う。ぜひ発信してほしい。

というわけで、みんなブログやろう。

「Dハロ全身仮装インパなら」?~TDLハロウィン感想~

「Dハロ全身仮装インパなら」

 

いつだったか、私のスマホにこんな感じの文字広告が出てきて、大層ビビったことがある。

さて、この文章はどういう意味かわかるだろうか。

正解は「D(isney)ハロ(ウィン)(の期間中の)全身仮装(=全身フルコスプレ)(で)インパ(=ディズニーランドに入るなら)(当店で衣装をお買い求めください)の略である。

 

実は、ディズニーランドは子供以外キャラクターのがっつりした仮装をすることを普段は禁じている。

しかし、ハロウィンの期間の始めと終わりの一週間(通称Dハロ)だけは、大人も全身仮装をすることが許されているのだ。私はこれに参加することにずっと憧れていた。

 

というわけで。

行ってきました

全身仮装Dハロ!!!!!

f:id:iamforest:20150916234222j:plain(友達撮影のハロウィン仕様のパレード)

 

もうほんとにウルトラめちゃんこ最高に楽しかった。

シルバーウィーク前の平日に突撃したので、そこまで激混みというわけでもなく、暑すぎずとてもいい日だったし、

パレードも通常のやつ・ハロウィンのやつ・エレクトリカルパレードラプンツェル出てきて泣きそうになった)、ワンス(ラプンツェルのとこで泣いた)もがっつり見れて、アトラクションもかなり乗れた。ホンテはナイトメア・ビフォア・クリスマスの特別仕様だったし。

 

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(「怪奇ゾーン グラビティフォールズ」の主人公の仮装した私たちの後ろ姿)

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トゥーンタウンで魚と戯れる私)

 

さて、このDハロ期間、

何がすごいかって、全身仮装した一般ゲストだ。

もうプリンセス。園内を歩いていれば、5分に一回くらいの回数でプリンセス仮装の人たちとすれ違う。本当にすごい。アリエルとラプンツェル多かった。

「コスプレとか楽しそうだからドンキで買いました」系のミニスカプリンセス、

「それメイド服じゃねえのかよ」系アリスもいたが、意外とそんなに多くなく、ガチ仮装の人の方が多かった印象を受けた。

 

それでもって、シンデレラ城前は全身仮装で記念写真を撮っている人たちで賑わっていた。ここに来るとマイナー仮装している人が多くて面白い。ニモに出てくるカモメ&おしゃかなおしゃかな!!の女の子とか、マキシマスとか、氷漬けになったバージョンのアナとか。

私たちも「写真撮りましょう!」ってちょっと声をかけてもらって写真撮ったりした。(これがめちゃくちゃ感動する!)

 

Dハロでは、小さい子から、私たちくらいの人、そんでもって妙齢の人まで、ほんとうに幅広い年齢層が仮装をして楽しんでいた。癖になりそうな楽しさでした。

できるなら来年はスターバタフライちゃんやりたいです。

 

ちなみに、私たちがした仮装の元ネタが無料公開中なのでみんな見てね。

www.youtube.com

 

 

「生足魅惑のマーメイド」の上半身は何か?~マグリット展感想②~

素人文系大学生の感想なので知識面に関して間違ってるかも。すみません。あしからず。

私は絵を見るのが嫌いじゃないので、絵画及び表象物の分析に関する授業をとっていました。
その授業で興味深かったのは、「絵画の中で、特定のイメージが固定化して繰り返されている」ということ。
具体的に言うと、「聖母マリア」は赤と青の布を纏っている、「魚」はキリストをあらわす、みたいな感じで、同じ特徴を持つ人物が色々な絵画の中に現れているということです。

そのため、宗教画や風俗画は、「ああこれはこのことを表してるんだな」と読み解くことが可能です。

たとえば、以前行ったルーブル美術館展で、「赤と青の布を纏っている女性がパンを配り、彼女の傍に赤子がいる」みたいな絵を見ました。
この絵は風俗画、ということになっていたのですが、上記のような知識を使えば、これはもう明らかに聖母子による施しの場面だな、と宗教的な意味を読み解くことができるのです。

ということで、「マグリットの絵も読み解いてみるぞー」と思って展覧会に行ってみたのですが、どうやら雰囲気が違います。
マグリットの絵は宗教画でも風俗画でもない上、マグリットは、自身の絵に解釈などないと述べているのです。

ていうか、はっきりと「雲が描いてあったらこれは雲だ。象徴とかそういうものは自分の絵にはない」みたいなことを言っています。
あらら。

マグリットの絵は、「私たちの普段周りにあるもの同士の意外な組み合わせ」と語られることがあります。
その「意外な組み合わせ」の一つが、「生足魅惑のマーメイド」的な上半身が魚で下半身が人の魚人なのかもしれません。
マグリットは、そうした「意外な組み合わせ」を見た時の、純粋な驚きやカタルシスみたいなものを、「分析」や「解釈」の介入によって薄味にされたくなかったのかなあと思います。

しかし、ダイレクトな解釈(この絵は現代の不安を暗示しているとか)ないにしても、「解釈っぽい」ことは彼自身行っていたようです。

たとえば、有名な「人間の条件」。
これは窓の傍にイーゼルが立てられ、その上のカンバスに窓の外の風景がが描かれているように見える、という作品なのですが、これは、私達は「外側」である「描かれた窓の向こう」と「内側」である部屋の中のカンバスに描かれた風景が一致している裏付けなんてない、つまり、私達が見ているものの「外側」と「内側」の区別 について疑いを投げかけている作品だそうです。

ちょっと違うかもしれないけど、わたしはこの絵から、
外側=実際の事物や世界、内側=私達が作り上げてしまう「イメージ」として事物のギャップの話なんじゃないかな?と思いました。

いつか、授業の一環で先生と友達数人で古事記展をみにいったことがあります。
そこでは古事記に関する、絵画を始めとした神話的な日本のイメージがずらりと並んでいました。そして、最後のコーナーに、古代の日本で作られた剣が置いてあったのです。
おおーなんて思いながら見ていた私に、先生はこんなことを言いました。

「それ、ただの剣だよ。でも、今まで色々見てきたから、なんだかすごいものに見えちゃうでしょ?」

私ははっとしました。

外側=事物そのもの=この剣は、ただの剣であり、神秘的な要素なんて無いただの道具です。
でも、この剣に至るまで散々「古事記による古代日本の神話的イメージ」を見てきた私達は、その剣をなにかしら神秘的な物として認識してしまっていました。
つまり、内側=勝手に神話的イメージを付与した剣ができあがってしまっていたのです。

そして、この内側=イメージによって作られた鍵カッコつきの事物を消費できる、消費するしかない生き物こそが人間で、だからこそこの絵に「人間の条件」なんて、つけたのかなあと思いました。

(人間の条件、このテイストのシリーズの二枚目の作品なので絶対違うんですけどね)


以上、マグリット展感想でした。

「生足魅惑のマーメイド」の上半身は何か?~マグリット展感想①~

久しぶりにブログを書く。
単に忙しかったからというのもあるが、
このブログを見てくれる人のことを考えてしまって、好き放題書けなくなってしまっていた。これでは意味がない!

というわけで、これから好き放題書きます。
文体も適当にします。

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「生足魅惑のマーメイド~♪っていうけど、生足かつマーメイドってことは、その人魚の上半身は魚なのでは?」

いつだったか、こんなツイートを見て爆笑したんだけど、こんな感じのものを約50年前に絵にした人がいます。
それが、ルネ・マグリット
マグリット 自然の驚異とかで検索してみよつ)

f:id:iamforest:20150910210712j:image

そういうわけで、行ってきました京都市美術館ルネマグリット展。
結論から言うと、とっっってもよかったです。

f:id:iamforest:20150910210947j:image
そして買っちゃいました、画集です。
お金なかったけど、お母さんも「本はケチるな」と言ってたし、なにより展覧会の画集って買い逃したら手に入りづらいですしね。

そんでもって、このマグリット展でなにより嬉しかったのは、中学生の頃、美術の資料集ですてきだなあと思っていた絵を何枚も間近で見られたこと。

ネットや本でいくらでも絵が見られる現代で、わざわざ美術展に行く意味って、やっぱり「絵そのもの」を感じられることだと思います。
やっぱり実物の前に立つと、大きさや筆跡を実感するし、作者はどんな事を考えながら描いたんだろうなあって考えてしまいます。
そして、なによりマグリットの絵は「空」モチーフの絵が多いから、自分がその絵の中の空の下にいることを想像してしまいます。
「光の帝国Ⅱ」に入れたら、とかすてきですよね。

ところで、このマグリット展で特徴的なのは「売ってるグッズがかなり多い」ことだと思います。
絵葉書はもちろん(本場ベルギーからの輸入品らしい)、ノートや鉛筆(山高帽子の消しゴム付き!)、マグカップとソーサー、立体的に見えるペーパーアート?、ネックレスとかとか……
全部なかなかのお値段でしたが、全部めっちゃめちゃかわいかったです。

ちなみに、店員さんもマグリットのよく描くあの「ブルジョアジー風の山高帽子の男」風の格好してて、凄く素敵だった……

そんなわけで、マグリット展おすすめです。

マグリット展感想②につづく。