日々ブリッジ

エッセイもどきブログ

いまさら『ズートピア』感想

ズートピアを見た。
私は「年の差凸凹男女バディが事件解決もの」フェチなので、萌えアニメ見るくらいの気持ちで行ったら、とんでもなかった。
これは傑作だ。
特に大学生は、皆見るべきだと思った。

「大学生」にしたのには理由がある。
皆、文系も理系も一般教養で少なからず、「マイノリティ」「差別」「偏見」(=ズートピアの根幹テーマ)について触れたことがあるはずだからだ。
もちろん、社会人だって、高校生だって、中学生だって見て欲しい。でも、考える土壌が整っていて、今まさに大人になっていく私達大学生こそが見るべき映画だと思った。

ズートピアに関するわかりやすいレビューは既にたくさん書かれてるので、私が今更語るまでもないだろう。

(と思ったので内容な細かいとこにはあまり触れない。私の感想を書く。)


本作を通じてガツンときたメッセージは、「誰もが「らしさ」の呪縛の被害者になる。でも、被害者が一転して加害者にもなりうる。」こと。

「うさぎらしさ」イメージに縛られていて、それに抵抗し続ける主人公︰ジュディ。そんな彼女でさえも、無意識に「らしさ」イメージで他者を縛ってしまうのだ。

また、冒頭で映る電車に乗る、大型草食動物と小型肉食動物。それぞれのサイズにあった造りになった乗り物。大きくても、小さくても、同じモノを利用できて、それが当たり前になっている。
「ああ、この世界にはマイノリティも、マジョリティもないんだなあ」と思った。
多数派、少数派という線引きでサービスの質が異なっていない。誰もがその人(動物)にあったサービスを受けられる。徹底したバリアフリー社会だ。
しかし、本当にそうか?ということはこれから劇中で語られていくことになる。(詳しくはネタバレなので言わない)

施設や制度は整えられても、我々の心を隅々まで完璧に整えることはできない。
差別心や偏見は、必ずどこかに生まれてしまうもの。気づいていても、気づいていなくても。
でも、我々は、気づくことに努めないといけない。がんばって、気づいて、自分を変えていく。そうしてみんなが変わったら、この社会も変わるはずだ。だからこそのトライ エブリシングだ。

ここからは私個人の話になってしまうけれど。
私は、女性やセクシャルマイノリティと呼ばれる人達に向けられる差別や偏見に関して、敏感であるつもりだった。

では、それ以外は?
障害のある人達には?在日外国人とよばれる人達には?
「ああいう人たちは〇〇だ」なんて、偏見を持って見ているものが、ざくざく出てくる。

「ウェイは〇〇なんでしょ?」「やっぱりオタクだ」「こんなことするなんて、どうせ外国人観光客でしょ」……。 

例えば。
食堂で流れていた、自主制作乙女ゲームのpv。「うわっ典型的オタクって感じ全開……」と下に見ていた私に、友人が言った。「こんな映像作れるなんてすごいやん。私はできないな」と。はっとした。

例えば。
マイノリティや、性差別に関して造詣が深いうちのゼミで、「こんな困った外国人観光客がいた」と盛り上がったこと。
どことなく後ろめたさを感じた。

自分の中の差別心や偏見に、目をそらすなと突きつけられるのはつらい。しかし、それなくして前には進めない。と思う。

ズートピアは、今のアメリカであり、これからの日本であり、この世界そのものだ。
各国の内向き傾向が続く中、これを発表したディズニーには頭が下がる。

ズートピアは、グローバル化と叫ばれる、この時代だからこそ作れる映画だ。リアルタイムで大学生のうちにこの作品を見れたことをとても嬉しく思う。


(書きたいことつめこみ記事になってしまった。おそ松さん③も近々書こう)