日々ブリッジ

エッセイもどきブログ

エマワトソンと私の共通点

エマワトソン。
ハーマイオニーで有名な、誰もが知ってる女優さん。個人的に世界で一番美しいと思っている。

そんな彼女とわたしだが、実は共通点が2つある。

1つ、人間の♀だということ。
2つ、フェミニストであるということ。

というわけで、今回は私とフェミニズムについての話を書こうと思う。長いです。

(エマワトソンのフェミニストスピーチ、実に素晴らしいので一見の価値アリです。)





なぜ私がジェンダーやらフェミニズムやらにやたらと心を砕くのか、不思議に思う人もいるかもしれない。
実際に私もわかりきってないが、そのへんを今回はまとめてみることにした。


そもそもなぜわたしがフェミニズムやらに興味を持つようになったのか。
簡単だ。大学で学んだからだ。

私の学科は、人の生活に関係する様々なものを学問することを専門にしている(例えば消費者法、人類学、風俗史、視覚文化など)
のだけれど、ジェンダーに重きを置いている。
これらのものをジェンダーの目線から考えてみるといった類の授業が多い。
ジェンダーの目線から、て何。と思うかもしれないので、具体的に述べておく。

例えば、ジェンダー×法学。

性犯罪が起こったとして、「女性」が被害者になった場合、裁判時に「被害者も誘うような格好をしていた」みたいな「被害者にも落ち度がある論」が実際に展開されることがあり、もし被害者が男性だったらこの論は展開されるのだろうか、みたいな、
性別が理由で不利になったりすることを法学の視点から見ていく。

とかそんな感じ。

こういう授業を日々受けていれば、
女だからとか、男だからとか、性別で差別をうけるのはおかしいのではないか。とか
じゃあ、男/女の二元論に分類されない人ってどうなるの。
とか自然に思うものだ。

ということで、性差別やらジェンダーやらに興味を持ち始めていた頃、ある衝撃的な事件を知る。
あるアメリカの少年が、「男のくせに」、「女の子向け」アニメが好きだという理由でいじめれられて自殺未遂をしたという。

はじめてニュースを見た時、涙が出た。なぜこんなことが起こってしまうのかと、憤った。私も少年が好きなアニメのファンなので、余計悲しかった。

この少年がいじめられるきっかけになってしまったアニメの挿入歌(ミュージカルアニメなので)に、こんな歌詞がある
「We may seem as different,as the night from day. But you look a little deeper,and you will see, that a just like you and you're just like me. 」
なんて皮肉な歌詞だろう。

少年は幸い一命は取り留めたが、治療は続いており、未だ以前のような生活にはもどれていないという。

前からフェミニズムジェンダーに興味はあったが、この事件が決定的に私の何かを変えた。

それから、「女/男、だから/のくせに~」という言葉を使わないようにしている。 
どうして、性別を理由にされないといけない?どうして性別が理由にならないといけない? 

女の子はどうして皆かわいらしいプリンセスでなければいけないのだ。男の子はどうして皆勇敢なヒーローでなければいけないのだ。

私はもし将来結婚して子どもをもったら、絶対にこの言葉は使わないし、子どもにも使わないように教えたいと思っている。

気にしすぎだ、と思うかもしれない。
そう思うのも無理もないと思う。
私が性別を理由にするのを特別に嫌うのは、大学でたまたま性差別について学んで、疑問を持って、おかしいと思うようになったからだ。 
このプロセスを経ていないと、「男のくせに」とか「女の子なんだから」と言われても何にも感じないし、気にしないという人もいると思う。

でも、それでも、私は使いたくない。
だって、このまま皆がこの言葉に何の意識も持たず使い続けていたら、上記の少年のような事件はきっと再発する。
私は自分の子どもでもそうでなくても、そんな思いは絶対にさせたくない。

また、これはある漫画家の方がツイートしていたことなんだけれども。
その漫画家の方は、いまは性自認=女性のレズビアンだと自覚されているそうだが、子供の頃は性自認がはっきりとせず、とても混乱したそうで、その理由の1つが周りからの「女の子らしくないね」の声だったそうだ。
周りは悪気なく、なんとはなしに言っているのはわかる。でも、無自覚だからこそタチが悪いのだ。

LGBTの人の割合は、左利きの人の割合とほぼ同じだと言う。

私も子どものころ、コロコロコミックポケモン大好き少女だったので、「女の子らしくない」居心地の悪さみたいなものはなかったことも無い。
でも、その反面、お人形遊びやおままごと、おえかきのような「女の子らしい」ものが好きだったので、バランスが取れていたため、性自認で混乱しなかったのかもしれない。

最近、急速にLGBTの方への配慮(この言葉なんか嫌だが適切な言葉が思いつかない)が進んできているが、我々が無意識に口にしがちな、こうした性別に対する「らしさイメージ」に対しても、もっと目がいってもいいかと思う。

さすがにこのご時世、「女なんだから、外で働かず家事をしろ」なんていう人はめったにいないと思うけれど、
「男のくせに泣くな!」とか、「女の子なのに自炊しないの笑」とかって結構まだ言っちゃうんじゃないだろうか。

私は、甘いものが大好きだ。
私は、ぬいぐるみが大好きだ。
私は、ディズニーが大好きだ。

でもそれは、私が「女だから」じゃない。
私が「わたしだから」だ。

この記事に、もしちょっとでも「なるほど」と思ってくれたら、
どうか「女の子なんだから」とか「男のくせに」のような言葉を使うのを、やめてみて欲しい。


ところで、
フェミニズムフェミニストという言葉にマイナスイメージがあるように思える。
フェミニズムはアンチ性差別思考て男嫌い思考ではけしてないのに。)
だとしたら、現代では、これらに替わる新たな言葉が求められているのか。

でも、「フェミニズム」という言葉を捨てることは、これまで長い歴史の中で権利を勝ち取ってきたフェミニストたちの歴史をなかったことにすることにならないか。
今はそれが気がかりだ。

今日はこのへんで。